食etcにまつわる近況報告

掃除機

さいきん掃除機を買った。コードレスで、フィルターの掃除が簡単でなおかつ軽いという充実のスペックだ。それを使って、毎日のように窓を開け放って掃除機がけをしている。うちには畳の部屋がある。はじめて畳に掃除機をかけたときは、表面には見えないほこりが異次元から現れたみたいにダストカップの中に突然発生していることに驚いた。隙間にそれらが詰まっていたのだった。それから数日間、つるつるの畳に掃除機をかけるたびにどこからかほこりが発生して、ダストカップにたまった。
ぼくは、どちらかというと綺麗好きだが、自分の部屋が自分のものと自分のほこりと自分の髪の毛で汚くなっている分にはまったく不潔さを感じないという中途半端な綺麗好きだった。そんな自分が近ごろ変わりつつある。

 

日本酒とワイン

変わったといえば、夏に国内旅行をして、それを機に日本酒が気になりだした。日本酒のよさ。それはなんといっても、米類と一緒に飲み続けることができることにある。辛口、甘口、さっぱり、などの傾向があるが、断然ぼくは辛口が好みなようだ。いまでもクラフトビールは好きだが、ビールはどうしても食前酒としての色合いが濃い。主食ではなく、つまみが欲しくなってしまう。そしてメインを食べはじめるとビールはもういらなくなってしまう。その点にかけて日本酒は、食中酒として完璧だという結論に至った。
食中酒つながりで、ワイン。ワインといえば、アヒージョや肉と合わせて赤ワインを適当に選んで飲むのがこれまでだったが、いまは白ワインに手が伸びる。オリーブオイル系のスパゲティを食べるとき、白ワインを合わせてゆっくり時間をかけるようになった。かつては、蕎麦のように細いスパゲティを固く茹でるのが好みだったが、ワインを味わうために家のスパゲティがどんどん太くなった。

 

コーヒー

アルコールもいいが、朝はやっぱりコーヒー。もう今年の年始になるが、エスプレッソマシンを買って豆を挽くところからやっている。ヨーロッパを旅して、本当のカプチーノを知った。日本でコーヒーというと、「ブレンド(ブラック)」か「フラペチーノ(スタバ限定)」という妙な二極化現象が起きている印象があるが、海外のカフェではブレンドコーヒーやブラックコーヒーという商品はあまり見ない。あちらでは基本的にエスプレッソがベースになっていて、それをミルクと合わせる(カプチーノ or ラテ)か、お湯で薄める(アメリカーノ)か選ぶスタイルが主流だ。濃く苦いコーヒーを飲んだほうが大人だというムードも、どうも日本に特有くさい。純喫茶は、純な喫茶店という意味だと思うのだが、純という言葉を「本場の」とか「本来の」という雰囲気で使っているのならば、あれはまったく本場ではない。むしろガラパゴスの極みだと言える。あの、バカ苦い「店主のこだわりのブレンドコーヒー」。嫌いではないが、ヨーロッパの古い街で何百という石畳の裏道を巡っても、そんなものにはついぞ出会わなかった。

 

クロワッサン

カプチーノといえば、同じようにして帰国したのちに探し求めたヨーロッパの食として、クロワッサンがあった。フランスでクロワッサンを食べるというのは、誰もが一度は憧れて、ほとんどの人は行った際にはその夢を実現したことだろうと思う。ぼくはフランスといわず、クロアチアからポルトガルもといデンマークまでシェンゲン協定圏中を駆け巡ってクロワッサンを食べまくった。やすくて美味くてコーヒーにピッタリ。食べ歩きにも適しているし、バスに持ち込んでもクセのない香りで、半日くらいは味が落ちない。日本では、駅前のパン屋に朝から出かけていくなんてこともしたが、今ではPicard(ピカール)というフランスの冷凍食品メーカーの看板商品であるクロワッサンに落ち着きました。

 

「忙しい」なんて一瞬たりとも思わない

以上──食etcにまつわる近況報告──、2022年もお疲れさまでした。
ある待合室であるじいさんが女性に話していた。「俺はあの国とあの国とあの国に行ったが、外国の飯なんて食えたものじゃない。治安も悪いし。日本が一番いい」
じいさんは矛盾している。外国をこき下ろしながら、自分が外国を知っていることを誇っている、つまり外国の威を借りているのだから。
じいさんは格好悪い。自分には国の良し悪しさえも判断できる大局的な視野があると思っているから。自分より物事を知っている人間が、すぐ近くであなたの話を聞いていることもある、そういう場合だってあるということに想像力を働かせることができないから。

そこのあなたもよいお年を。
安心の安売りには距離を取って。甘い言葉が効かなかったときのことをいつも思い出して。「最終的には自分の問題」だということを理解して。自分は間違っていないなんて思おうとしないで。他人のゲームに付き合わないで。こちらは来年も引き続き、「忙しい」なんて一瞬たりとも思わないような充実を追いかけて生きてゆきたいと願っています。