Asian Lives Matter

我々は驚くほど人種差別の少ない世界に生きている。一年かけてアジアからヨーロッパまで旅をしたのに、ぼくが人種差別で辛い思いをしたことは一度もなかった。これは達成である。ぼくの達成ではなく、レイシズムに闘ってきた人類の達成だ。
大学入学した直後の春学期で、『1960年代アメリカ』という講義を受講した。その講義では、キング牧師の有名な「I Have a Dream...」のスピーチ原稿が原文で配られ、戦時下のサイゴン焼身自殺をはかった僧侶のビデオが放映され、ボブ・ディランのいくつかの歌が「歴史的資料」として流された。ウッドストックでジミヘンがアメリカ国家を破壊的に演奏している映像には、ボーイフレンドに肩車されたトップレスのおねーちゃんが天使の輪っかみたいな髪飾りをつけて恍惚と身体を揺すっている様が映っていた(はず)。
すごい時代があったものだ。ぼくはそう思った。それらを「学問したい」と思うほどぼくには知識も情熱も足りてなかったけど、雰囲気だけはびんびん伝わった。なんだか熱い気持ちになった。ロック、ジャズ、文学、アート。戦争に人種差別、男女の人権、サイケデリックカウンターカルチャー。社会問題がゲージュツと結びつき若きカリスマが誕生し人々が闘った。すごい時代があったものだ。本当に。
一方で現実の大学生活は全然すごくない感じになっていた。ヒーローはいない。革命もない。ボブ・ディランビートルズはっぴいえんども、名盤と謳われたあのアルバムが、バンプ・オブ・チキンより迫力のない音で再生されたのには参った。古本屋よりブックオフレコード屋よりTSUTAYA。サイゼで粋がる他大生。2ちゃんねるでファッションを学ぶ早大生。タイムアウトするバイトの応募フォーム。生き生きと路上自転車を撤去していくシルバー人材センターのベストを着た老人たち。入学から卒業まで工事中だった文学部のキャンパス。3.11東日本大地震一歩手前の頃のことだ。
『ロッキン・オン・ジャパン』かなんかの雑誌で、若手バンドの野比のび太みたいなボーカリストが三人集まって「コンプレックスがないことが俺らの世代のコンプレックス」だなんて馬鹿げたことを対談していた。ぼくはぼくなりに、60年代や70年代や80年代や90年代の伝説の残滓を求めて上京した。あの本で読み、あの音楽で聴き、あのドラマで観たあの伝説たち。しかしそこにはもうなにもなかった。ぼくと同じように「物語」に憧れてやってきた田舎者たちは、先輩が三万字インタビューで語ったその人自身の青春時代の真似事ばっかしてた。
とはいえ世界は平和だった。アメリカの広告に「白人モデルばかりを載せてはいけない」という不文律(法律?)があることは有名だ。ハリウッド映画だってそう。中学校の教科書で、アメリカという国は「人種のるつぼ(melting pot)」であると習っていた。「るつぼ」の響きが面白くてぼくはその言葉を当時から気に入っていた。有色人種の人権も、女性の人権も、障害者の人権も、問題が取り沙汰されたのはずっと昔のことだった。

しかし、あるところには人種差別はまだある。ぼくはそれをやはり旅を通して学んだ。ぼくは差別にあわず、差別をしないように心がけたが、「差別的感情がどうしても人間の心の奥底には巣食ってしまうのだということ」について、考えさせられる機会は多かった。
ブログには何度も書いたけど、旅の途中において旅以前を振り返る形でぼくがだんだんと気になっていったのは、日本人による韓国や中国や東南アジアへの差別感情だ。話題になった「Black Lives Matter」に賛同した日本の人たちも、「爆買い」を謳歌する中国人団体観光客にこれみよがしに眉をひそめたり、「あれは韓国企業だから」と幼稚なカテゴライズをしたり、東南アジア出身のコンビニ店員に威高に接したり、北米とヨーロッパと日本以外は不潔で危険で旅行するなら常に盗難と詐欺とクレカのスキミングに警戒しなければならないなんて前時代的なことを今でも信じていたりしている。
もちろんぼくだってそういった気持ちがゼロというわけではない。だが、「ゼロでないが本来ゼロであるべきだ」と意識するのと、それでいいのだと開き直るのには雲泥の差がある。
いたって普通に思うには、まず日本の人たちが学ぶべきは「Asian Lives Matter」だろうということは明らかだ。この国に「黒人差別」の歴史はない。その代わりに、あまり大々的には語られてきていない「アジア人差別(アジア人を見下してきた)」の歴史があるのだから。
一方でこの問題は本当に根深いと思うときぼくは、ヨーロッパの街で美しい教会の写真を撮ろうとするときの自分を思い出す。いい写真を撮りたいと思うと、そこにごく自然に写っている人物というのが大事になってくる。教会の前であれば、天使のような金髪の子どもたちが駆け回っているならそれは絶好のシャッターチャンスだし、ハンチングにチョッキを着込んだ丸メガネの老人なんかが杖をついてちょこんと階段に腰掛けているのも絵になる。だけど実際にそういうことはほとんどない。なぜならヨーロッパには大量の黒人移民、アラブ人移民、中国人移民がいるからだ。その街並みがどれだけ生粋のキリスト教社会の歴史的建築によって完成されていても、歩行者全員そろって白人であることはまずない。正直な話ぼくは、自分の掲げたカメラがフォーカスした大聖堂の前を中国人のちっちゃいおじさんが通りがかっているとき、シャッターを切れない。それではどうも絵にならないし、ぼくの求めるヨーロッパという感じがしない。同じように、そこにいるのがヒジャブの奥さんたちでも、黒人青年の物売りでも、シャッターを押すのを躊躇う。白人だとまあいいかとなる。そんなとき、ぼくはぼくの中の差別感情を意識する。ぼくの求めるヨーロッパ。それになんの価値があるだろう? そう思っているのに。
トランプ大統領が誕生して三年が経つ。彼はアメリカファースト、白人ファーストを掲げる自他共に認めるレイシストだが、問題はどうして彼が支持を集めているかというところにある。自由の国アメリカ。差別と闘ってきたアメリカ。世界をリードするアメリカ。南北戦争。シックスティーズ。ポリティカルコレクトネス。その果てに行き着いたトランプというリアル。
かの国は多くの移民を受け入れ、単純労働の一角を長く移民たちが担ってきた。それは企業の経営者たちにしてみればありがたかったに違いない。移民たちは低賃金でも懸命に働く。彼らがいると企業は助かる。じっさい、古今東西の経営者の悩みのほとんどは「人材」に尽きるのではなかろうか。移民政策に賛否はあるが、国の経済力のカンフルになるかならないかと言えば、なるに違いないとぼくは思う。二十一世紀、日本を引き離してイギリスやドイツなどの大国が経済を持ち直している理由の一つは、移民たちが下支えになって経済を混ぜっ返していることにあるのだろう、ぼくはそう経験的に実感した。
だが移民は、企業にはプラスだが、自国の労働者には大敵である。移民は仕事を奪い、賃金を引き下げる。トランプはそんな彼ら、白人の低所得者層から強く、そして感情的に支持されているらしい。ぼくには、それは無理もないことだと(同じく感情的に)思う。黒人差別の問題はこのようにして複雑なのだ。黒人がいなければあなたの時給が上がります。そう言われたら「Black Lives Matter」に賛同した日本人たちはどうするだろう?

正義感や優しさが自分の心に燃えていると人は幸福を感じる。だけど幸福を感じるために、ライターの火みたいに簡単に点火する正義感や見せかけの優しさを手にするべきではない。ほとんどの場合、かなりの確率で、正義感や優しさはその人個人の中で矛盾した行動をとっている。「あんなことやってたやつが、こんなこと言ってるよ」、「あんなこと言ってたやつが、こんなことやってるよ」。他人をそのようにして見咎める必要はないけれど、自分ではそうならないようにしたいと思っている。