ウイスキー用のロックアイスの大きなかたまりをダンベルで砕いていると

深夜の十二時を過ぎて、ウイスキー用のロックアイスの大きなかたまりをダンベルで砕いていると、眠気もとれてきた。

さて、一年二ヶ月の旅についてのブログを書くのに、すでに三年七ヶ月が経過している。だけど途中でやめたりはしないよ。旅そのものも同じだけど、いっときの熱ではじめたものではないから、飽きたりはしない。継続は力なりと言うけれど、本当に重要なのは、いまはじめようとしているそのことが継続に値するのかどうかをはじめる前に真剣に吟味することだ。その吟味を乗り越えた対象には、ほとんど努力なんかせずに人は意欲を注ぎ続けることができる。これは、旅やブログや仕事だけでなく、アニメや音楽や読書にも当てはまる。好き、というのは本当に大切な感情だ。「なにか」の勢いを利用して好きになったものは、勢いの失速と共に必ず好きという気持ちも消え失せる。

 

環七から、引っ越した。もう半年前のことだ。
引っ越しはいいなと思う。
友だちが家を買った。住宅ローン減税がどうのこうのという理由で、2021年以内に家を買うとなにかと得だったらしい。
持ち家もいいけど、ぼくは「生活の拠点を変える」ことの魅力をまだ捨てられない。生活の拠点を変えると、やっぱり、新しく知ることが一気に増える。市役所への道筋、これまで使ったことのない系列のスーパー、図書館の貸し出しルール、最寄りの酒屋のビールの品揃え。そう、引っ越しをすると、毎日飲むビールやウイスキーの銘柄も変わってしまう。これまでのお気に入りが置いてなかったり、自分にとっては真新しい商品が置いてあったりして、なんとなくそれに適応してしまうのだ。適応といえば、ジョギングをする公園や、ちょっとした外食に使える店も新しく探すことになる。そして、それに適応することになる。
新しさに適応し、それが生活の標準になると、不意に、かつて標準だった生活や習慣が懐かしくなる。だから今は環七がとても懐かしい。懐かしいと感じるとき、我々は過去の自分(の幻想)を客観的に見ている。ぼくは、写真を見ないので、過去の感傷に浸るとき、記憶だけが頼りだ(写真は後ろ向きな感じがして見返せない)。自分を客観的に見るためには、自分が過去にならなければならない。そのためには、生活の拠点を変えることが最も手っ取り早く、そして前向きな気持ちでできることなのだ。