ハンドルネーム人間模様

修学旅行の夢

旅関係の夢はよく見る。それも実際に旅した記憶のある景色をなぞるのではなくて、また新たな旅に出てしまった夢だ。そのほとんどが今の自分と地続きの大人のひとり旅だが、先日は自分が高校生になっていて修学旅行に行く夢を見た。

その夢でぼくは飛行機に乗るところで(現実に高校のときは飛行機になんて乗らなかった)預入荷物のスーツケースのパッキングに大きく手間取り、とにかく慌てていた。同級生のひとりはなぜか空港の職員として制服を着ており、機内持ち込み荷物をスキャンするコンベアーの前でそんなぼくを急かしていた。

ぼくは散々慌ててチェックインした預入荷物の中に、機内に持ち込みたいものがあったことを思い出し、もう一度頼み込んで取り出してもらおうか悩んだが、ただでさえスケジュールが押していたのでさすがに諦めようかなあと消極的な気分になっていたのを覚えている。

 

漢字のフルネーム

目が覚めてから、ぼくと同じようにチェックインが遅れてみんなに迷惑をかけていた生徒のひとりとしてとある女子生徒が夢に登場していたことを思い出した。その人とはいま面識があるわけでもなければ、特別な思い入れがあるわけでもない。だから「なんでこんな人が出てきたんだろう」と思った。

意外だったからこそ、目覚め直後のぼくには印象に残っており、ぼくは「そういえばこの人、結婚していたっけ?」と考えてからLINEを起動して、高校の同窓会がきっかけで新たに組まれたLINEグループを開いてみた。

メンバー一覧を見ていくとそこにその人の名前があった。漢字のフルネーム。そして姓は当時と変わっていない。婿養子でももらっていない限り、未婚ということになる。やっぱりとぼくは思った。なにがやっぱりって、このLINEグループでやはりそれを見た記憶があったからだ。つまり、目覚めてLINEを起動したときのぼくの心境を正確に表すならばそれは、「そういえばこの人は、旧姓だったよな」なのである。

 

新旧ハンドルネーム

その人が旧姓のままであることを確認し、だからどうだというのだろう。実際どうということもなかったが、ぼくはしばらく、その夢と、目が覚めて自分がとった行動について考えていた。

違和感の正体は、どちらかと言えば目が覚めてからの行動にあった。ひとりの女性が未婚か既婚かを知るためにぼくは無意識にLINEを起動した。それが意味するところは?

そう考えて改めて、そのLINEグループの(かつて)女子(だった人)たちの名前を見直してみた。LINEのハンドルネームは本名である必要はない。だが基本的には本名を知っている人間には判別が可能なくらいには明らかにして登録する風習となっている(LINEはTwitterなどと違ってWebに開かれているSNSではなく対面時に交換するものであり電話番号とも紐づいているのでプライバシーの観点でハンドルネームをぼやかす人はほとんどいない。ぼくも漢字のフルネームだ)。ひととおり上から下まで見たぼくはナルホド面白いなあと思った。なにが面白いって、ハンドルネームのネーミングには記憶の中のその人のパーソナリティが今もさほど変わることなく顕われているように感じたからだ。

姓が変わらない人もいれば変わっている人もいる。姓が書かれていなく名前だけの人もいる。姓が変わっている人がビシッと漢字で新しい姓にしているのもその人らしい気がするし、変わっていない人がビシッと漢字で旧姓のままなのもどことなくその人らしい気がする。新しい姓名の後に(旧姓○○)と補足している人もいて、なるほど、この人はこういう人だったかもしれないと思ったりもする。漢字。ひらがな。ローマ字。見て、考えて、思い出すだけでも興味深かったが、しかしそこにはただ興味深い以上に気になることがあった。

 

姓という情報を省く

そこで改めてぼくは、そのグループだけでなく、LINEに友だちとして登録されているそれほど多くない女性のハンドルネームをざっと見直してみると(ひまなんだよね。悪いけど)、やはり、「名前だけ」という人の比率が男性よりも確実に高いのだった。

女性のハンドルネームに「名前だけ」が多いのは、そのほうがソフトな印象を与えるからだろうとぼくはなんとなく思っていた。『橋本環奈』だとちょっと堅いし顔も年齢もよく分からないけど『かんな』とかにしておくとなんとなく若くて可愛い子なんだろうなという補正のようなものが入る。選挙ポスターと原理は同じで、『小橋照彦』を『TERU』にすると突然GLAYになるのも原理は同じ。

だがどうも話はそう単純ではなかったのかもしれない。結婚という個人的事情が、親しい人にもそれほど親しくない人にも幅広く伝わってしまうLINEという公共空間において適齢期にある女性たちは、男性が考えるよりもはるかに繊細な立場に置かれていて(旧姓のままでもヘェと言われるし、新姓でもヘェと言われる)、繊細なことを考えてハンドルネームをつけているのではなかろうか。

もし自分が女性だったらどうするか。結婚していたら? していなかったら? いずれにしてもぼくも名前だけにする可能性は十分にある。自分の性格からすると「ヘェ、結婚してるのね」とも「ヘェ、結婚してないのね」ともそのどちらに思われるのもなんとなくシャクだと考えるような気がする。これは想像の域を出ないけど。そしてそのためにハンドルネームから姓という情報をスパッと省くわけだ。大いにあり得る。だけどそういうときぼくはきっと、旧姓だろうが新姓だろうがビシッと漢字のフルネームでキメている友人にはちょっとした憧れを抱く気がする。